お袋の顔を見に行ってきた。
親父も生きているのだが、なぜかこう言ってしまう。
面白い話を聞いてきた。
親父は大正14年生まれだから、83歳になる。お袋は78歳、二人とも健在なのだが、親父のほうが元気がいいようだ。
58年間も一緒に暮らしてる。(奇跡だ)
最悪は、二人ともAB型、もちろん血液型だ。「血液型性格診断なんてナンセンス」と言う学者もいるが俺は信じてる。
その裏づけはある。その根本理論はいずれ又と言うことで(したがって俺は悪名高いBB型)ここでの話はこの二人である。
兎に角年中喧嘩してる。離婚するとか言いだしたのは300回ではきかない。
弟を連れて列車に飛び込もうとした、とか・・数え切れない。
最近、俺は相手にしないことにしている。
一番思い出に残るのは、夜、お袋が声を震わせながら「もうこんな人間とは一緒にはいられね、もう終わりだ」とか言って電話をよこした。とにかく俺が行くまでそのまま待てと言って、駆けつけた。
部屋に入ってみたら、部屋中灰のようなものが散らばっていて騒然とした修羅場だった。
俺の顔を見て少しは落ち着いたようで休戦状態になった。
とにかく二人では収拾が付かなかったとみえる。
「何だこのざまは」と子供のとき良く言われたせりふを言ってみた。
なんとこの散らばってるのは、爺の骨だった。
どうやらお袋が骨壷をぶん投げたようだ。あぜんとした。
爺さんが(親父の父)なくなって3ヶ月以上たっているのに、納骨のしないとか、墓をどうするとかが喧嘩の発端だったようだ。
とにかく拾い集めて壷の中に収めた。2回骨拾いをやったことになる。
これはずいぶん昔の話だ。
さて、今回の話は、お袋が11時ごろ具合が悪くなったと言う話だ。
この二人は親父の鼾がうるさくて別々の部屋で寝ている。(と、言っても襖1枚)
心臓のあたりが苦しくてどうにも我慢が出来なくて爺を呼んでみたらしいが返事がなく鼾もやまなかったらしい。
仕方なく119に電話してみたらしい。
「どうしましたか」と言うことで状況を話して「こんな具合なんだけど、どうしたらいいもんだろっかね」と言ったら
「とにかくそのままじっとして救急車が行くのを待っていてください」と言うことだったそうで直ぐに救急車はサイレンを鳴らしてやって来た。
近所ではどこだどこだと出てきた。何だどうしたと大騒ぎ。
救急隊の人は「おめさん一人で住んでるんかね」と聞いてきたらしい。
婆が「いや隣で爺が寝てる」と答えたら、救急隊はあきれかえて隣の部屋の襖を開けたら爺はまだ鼾をかいて寝ていた。
救急隊が「爺ちゃん寝てる場合じゃねよ起きねせ」とおこし、やっと目が覚めたらしい。
爺は「どうしたね、おめさん誰だね」「おめさん誰だね、じゃねわね、婆ちゃんが大変だってのに寝てる場合じゃねえよ」と救急隊
「これから病院に行くから爺ちゃんも来なせ」「俺もいぐんかね」「当たり前だろうがね」「俺行ってもしょうがねえろ」
「とにかく来なせ」と、言われ連れて行かれた。
その日は入院して翌日戻ってきたらしい。
幸い大したことにならなくよかったが、俺に「このくそ爺はこ言う薄情者なんだ」といっていたが、当の本人は「えへへ」と笑っていた。「えへへじゃね!」とお袋におこられていた。
俺的には今始まったことではなくわかってることジャンって感じだった。
でもこうやって58年も一緒にいられるってのも幸せなんだかもしれない。
俺は25年で別れたが・・・今日は久々に笑った。