このブログは、言わば俺のたどってきた道を、文章で残しておこうと思い、始めたことである。
その中でどうしても避けて通れないのがこの団地妻達の話になる。
二十歳の時にある事件がきっかけで無職になり、親父の仕事を手伝っていた。(鉄筋屋)
それも身体がきつくもう嫌気を差していた。
最後の現場が「中野山小学校」だった。それは裏日本最大の団地(石山団地)の側にあった。
この現場が終わり、次は加茂市の農林高校に行くことになっていたが、ここでリタイヤした。
石山団地に残ることにした。
その中で家電を販売しているT電気店に行くことに決め、電話した。直ぐに面接をしてくれた。
15歳で家電販売店に就職して4年の経験があったので、直ぐに採用になった。

店の前は新潟地震の被災した人たちのために、住まい確保のために作られたマンモス団地なのだ。
とにかく1軒1軒回って営業をして歩く、と言う仕事だった。
そんな営業みたいな事はしたことがない、とにかくカタログを持って日夜訪問した。
ここの番地はおかしい中野山666番地と言う所に2000所帯1万人近く住んでいた。
とにかく地区全体では2万人ぐらい、いろんな人たちが・・・日本中の出身者がいた。
後にスーパーの社長に聞いた話だが、ここの団地店は何でも売れる。
安いものから高いものまでと、それだけいろいろな人が住んでるって事なのだ、団地芸者とか呼ばれていた人たちもいた。

その戦場に投げ出された、二十歳になったばかりのこの男が・・どのようなドラマを繰り広げるのか・・・
とにかく「女」を「SEX」を「男とは」を俺に教えてくれたのは団地妻たちである。
この続きは、ゆっくりと・・・思い出しながら、書くことにしよう。
その頃の俺の写真があったので載せておくことにした。

この頃の俺はどこの行ってしまったんだ・・まるで違う。